〈ケア〉を考える会‐岡山(第21回)

20151115 第21回〈ケア〉を考える会‐岡山/チラシ.pdf
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■日時 : 2015年 11月15日(日) 14:00~16:30


■会場 : 川崎医療福祉大学 本館6階 6001演習室(定員35名

 

■会費 : 無料  どなたでも参加できます。お気軽にご参加ください。

 

■テーマ:「ケアの種」 「 交感するケア」
鷲田清一・徳永進 著 『ケアの宛先』(雲母書房)
 P.1~P.35を読んで、話し合います。

会のはじめに、読んで心に残った部分、大事だと思うところ、ようわからんけど何か気になる、これはちょっと違うぞ、などの箇所を、読んだ参加者からその理由も含めて発表してもらいます。そして、その中から、全体で話し合うテーマを設けて、さらに話を深めていきます。特に結論のようなものを求めるわけではありません。話すこと、聴くこと、考えること、話し合いのプロセス、対話そのものが大事だと考えます。
いわゆる「読書会」ですが、読んでなくても、本がなくても、気兼ねなく参加できます(読んできてほしいけど‥‥)。発表するかどうかは参加者に任され、途中参加、退出も自由です。必要なのは、参加者・発表者へのサポーティブな姿勢と、何かをつかんで帰ってやろうという気構えみたいなものでしょうか。

 

■参加申し込み・問い合わせ:

 ⇒「お問い合わせ」ページより

■懇親会:
終了後に、会場近くの居酒屋で懇親会を開きます(希望者)

 


『ケアの宛先』ノート ①


▼人間も他の生命体も老い、病み、死を迎える。去る、全てが去る。生命共通の摂理。
去る時、去る生命体の横にいて、何かできることがあるなら、手を差し出したり、支えたり、力になりたい、と多くの人が思う。ケアの心って誰の中にもある。ケアの種と呼んでもいいかもしれない。(‥‥)。
ケアの種を持って、ケアを職業の中心とする人たちは臨床現場に立つ。(徳永/2頁)


▼人生でもそうだと思うけど、仕事においてだって、いまこの時間をあなたにあげるから、その時間のなかで迷惑かけてもいいよ。この時間はあなたのためだけに使うよ、と言うのが「ケア」ということの一番根っこにある精神だと思うんです。だから、自分も迷惑をかけるかもしれないし、迷惑をかけられると耐えるのが難しいかもしれないけど、そういう錯綜した感情のなかで、でも自分はいま、ここにあなたと共にいますと伝える。(鷲田/16頁)

▼自分が何かの「宛先」になっているときに、自分の心を自分で感じられるんだと思うんです。(‥‥)誰かが自分のことを心配してくれている、それを感じたときに同時に心を感じるんじゃないか。(‥‥)何か他のもの、あるいは他の人が自分に向けて働きかけてくれているということを感じたときに、初めて人は自分に心とか、魂があるということを感じるんじゃないかと思う。(‥‥)。 「宛先」っていうのを別の言い方でいうと、「大事にしてもらう」でもいいと思う。(鷲田/26頁)
自尊心って自分を大事に思う心だけど、これは人から大事にしてもらうことで生まれるものなんですね。(鷲田/27頁)



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