20151223 第22回〈ケア〉を考える会‐岡山/チラシ.pdf
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『ケアの宛先』ノート  

      「ベッドサイドからの哲学」

 

▼医療・看護・介護の世界は、こういうときはこうすべきというマニュアルでこれまでやってきましたけど、そうじゃないものを発見すること、ベッドサイドや介護施設で日々起こっていることの中から言葉を「汲みとって」いくという態度こそ、臨床を哲学するということなんですね。(徳永/82頁)

 

それが、ごくありふれた言葉だってことが大事なんだと思います。(鷲田/82頁)

 

 

 

▼みんなの気持ちはグラグラ揺れ動いていて、一人ひとりの中に決めかねるものがいっぱい詰まっているんです。それぐらい、どうしようかと答えのない状態を悩むんですね。そんな時、「大切なものは、ぼんやりしている」っていう鶴見(俊輔)さんの言葉を思い出して、あーそうなんだと。(徳永/86頁)

 

 

 

▼現場というのは、それこそ学校で習ったことがそのまま通用しないところで、つまり予期せぬことが起こるし、知らないコンテキストがいっぱいある。それを知らないまま判断したら必ず変なことになるという、一筋縄で行かへんところでしょう。しかも、ある答えを選んだら、必ずそれによって被害を受ける人が出てくるわけで、みんながバンザーイとなる答えは絶対あり得ないですよね。(鷲田/86頁)

 

ないですね。それが39年たっても臨床から離れられずにいる理由です。(徳永87頁)

 

 

 

▼究極の解決やなしに、相対的な解決を探すということね。(鷲田/91頁)

 

 

 

▼臨床というのは(…)机の上では決してわからないことが時々刻々、生起している場なんですね。そこが不思議だし、おもしろい。(鷲田/94頁)

 

 

 

▼介護職や看護職にとって、臨床という場はある意味で汲めども尽きぬ宝庫なんですよ。(鷲田/95頁)

 

 

 


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